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81年目の長崎原爆の日――75年間続く「祈念式」から考える、平和を継承する仕組み

8月9日
読了時間: 4分

今日8月9日、長崎に原爆が投下されて81年を迎えます。

午前11時2分。

一発の原子爆弾によって、多くの尊い命が奪われ、その後も長い年月にわたって、多くの方々が苦しみを背負うことになりました。


犠牲になられたすべての方々に、心から哀悼の意を表します。


今日、改めて心に刻みたい取組があります。

爆心地から西にわずか500mほどに位置していた、長崎市立城山小学校の「祈念式」です。


原爆によって、城山小では児童や教職員ら約1,400人もの尊い命が失われました。

その悲劇を忘れず、犠牲者の冥福を祈るとともに、子どもたちへ平和の尊さを伝えていこうと始まったのが、毎月9日の「祈念式」です。

今年で75年。

長期休暇中も、そしてコロナ禍においても絶やすことなく続けられ、今日、900回目という大きな節目を迎えます。


同校で平和について学び、その思いを胸に卒業していった子どもたちは、すでに1万人を超えています。


「一度学ぶ」から「学び続ける」へ


私は、城山小学校の取組で特に大切なのは、「75年間続いている」ということだと思います。

平和について、一度話を聞く。

一度資料を見る。

一度式典に参加する。

もちろん、それぞれに大切な意味があります。

しかし、子どもたちは成長します。

小学生の時に感じた「怖い」「悲しい」という思いと、中学生、高校生、そして大人になってから戦争や核兵器について考えることでは、受け止め方も、問いの深さも変わっていきます。

だからこそ、

「知る」→「感じる」→「考える」→「自分の言葉で伝える」

という学びを、成長段階に応じて積み重ねていくことが重要だと考えています。


城山小学校で75年間続けられてきた祈念式は、まさに「平和を学び続ける文化」を学校の中につくってきたのではないでしょうか。


「物言わぬ証言者」を未来へ

城山小学校には、原爆の惨禍を現在に伝える被爆校舎が残されています。

平和学習の場であると同時に、“物言わぬ証言者”として平和を発信し続けています。

2016年には「長崎原爆遺跡」を構成する史跡の一つとして国の文化財に指定されました。

この保存・活用については、公明党も国・県・市の議員が連携して後押ししてきました。

秋野公造参議院議員は2012年、国会で文化財としての保存を求め、文化財指定を求める署名活動にも協力。公明党長崎市議団も、校舎の補修や展示の充実などに取り組んできました。

戦争体験者、被爆者が少なくなっていく時代だからこそ、遺構や資料、そして教育という「仕組み」によって記憶を未来へ残していくことが、ますます重要になります。


目黒区にも「継続性・連続性」のある平和学習を

目黒区でも、平和祈念のつどいや、子どもたちによる平和祈念標語、広島派遣など、平和について考え、学ぶ様々な取組が行われています。

私は、こうした一つひとつの大切な取組を、さらに「線」でつないでいきたいと思っています。

幼い頃から平和について知る機会がある。

小学生になったら、戦争や平和について学ぶ。

さらに成長したら、被爆者や戦争体験者の証言、資料や遺構から歴史を深く学ぶ。

そして中学生、高校生の年代になったら、「自分は平和のために何ができるのか」を考え、自らの言葉で発信する。

そうした成長段階に応じた継続性・連続性のある平和学習を、目黒区として体系化する。

これから戦争体験者、被爆者がいない時代を迎えるからこそ、ここに力を入れていきたいと思っています。


平和は、自然に続いていくものではありません。

誰かが記憶し、

誰かが伝え、

それを受け取った人が、また次の人へ手渡していく。

その営みを絶やさないためには、個人の思いや努力だけではなく、行政や教育が「平和を継承できる仕組み」を残していくことが必要です。


城山小学校で75年間、900回にわたって続けられてきた祈念式。

その積み重ねが教えてくれるものを、目黒区のこれからの平和教育にも生かしていきたい。

「二度と繰り返さない」という誓いを、

次の世代へ。

そして、その次の世代へ。

81年目の長崎原爆の日に、恒久平和への決意を新たにします。


 
 
 

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