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ハンセン病の歴史『慰廃園と目黒』


少し前のことになりますが、今年4月1日、ハンセン病患者の詩集「いのちの芽」刊行から70年を受け、東村山市の国立ハンセン病資料館で、俳優の小泉今日子さんが詩集に収められた詩を朗読する企画が開催されました。


かつて目黒区には『慰廃園』と呼ばれる、ハンセン病患者への伝道と医療を目的とした私立病院がありました。

1894年(明治27年)、アメリカ人宣教師ミス・ヤングマンがハンセン病を病む一女性と出会ったことがきっかけで設立されたのです。

1942年(昭和17年)の解散まで、入園者は4,159人に上りました。


日本では長らくハンセン病を病んだ人々は、国の誤った強制隔離政策と一般社会の偏見・差別によって、筆舌に尽くせぬ苦難の中での生活を強いられてきました。

そしてようやく、1996年(平成8年)「らい予防法」が廃止され、2001年当時厚生労働大臣であった公明党の坂口力氏が、ハンセン病国家賠償訴訟の原告団との面談で、元患者の老女が自らの半生を語ったことがきっかけとなり、坂口氏は固く決意するのです。

「この裁判は終わらせるべきだ。元患者の皆さんに『大変だったが、生きていて良かった。最後は報われた』と思ってもらえる最後のチャンスではないか!」と。

しかし当時、熊本地裁の「国が全面敗訴」の判決に対し、役所の意見は「控訴すべし」が大勢でした。自民党幹部からも「控訴後に和解」と言っていました。

そして、運命の5月23日。その朝の毎日新聞1面には「坂口厚労相が辞意」という見出しが躍りました。官邸に向かう車中の坂口氏の胸ポケットには、この朝認めたばかりの「辞表」が用意されていました。

朝9時、官邸で官房長官の福田康夫氏「改めて、お考えを聞きたい」。坂口氏「控訴には絶対に反対です」。福田氏「それは、厚労省の考えですか?」。「官僚たちの考えは別です」と坂口氏。福田氏「大臣の考えと、官僚の考えと、どちらが厚労省の意見ですか?」。坂口氏「私が厚生労働大臣です。私の考えが厚労省の意見です」

当時首相の小泉氏が原告団に面談したのは夕刻。その直後、政府は見解を発表しました。「控訴せず」と。


ハンセン病回復者が勝ち取った「国家賠償請求訴訟」勝訴判決によって、人権と名誉は取り戻されました。けれども、日本においてハンセン病問題は決して終わったわけではありません。


目黒区には、『社団法人 好善社』という団体があります。

好善社は、1877年(明治10年)に「慰廃園」を設立したミス・ヤングマンが女子学生10人によるボランティア活動として発足された団体です。

そして現在では、国内のハンセン病療養所を訪問したり、タイのチャンタミット社と協働して、タイ国のハンセン病を治療する人々とその家族を支援する取り組み、ハンセン病の正しい理解と促進をするための啓発活動などを行っています。


日本はもちろん、世界では数えきれないほどの人権侵害が未だ後を絶ちません。

目黒区に慰廃園があった歴史を決して忘れることなく、しっかりと啓発してまいりたいと思います。


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